起雲閣と共に

起雲閣と共に

起雲閣統括責任者 中島美江さん

 

熱海市指定有形文化財に指定されている起雲閣は、大正時代の日本家屋や洋館、まち中にあるとは思えない庭園が広がる貴重な文化財です。起雲閣の統括責任者であり、NPO法人あたみオアシス21理事長を務める中島さんにお話を伺いました。

はじまりは、あたみ女性21会議

1919(大正8)年に別荘として築かれた起雲閣。1947(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。2000(平成12)年より熱海市の所有となり、熱海市の文化と観光の拠点として多くの観光客を迎えています。
中島さんは、熱海市が起雲閣を取得した当初から運営をサポートし、指定管理者の代表として、文化財の管理や観光拠点としての魅力づくりに寄与してきました。まずは運営に携わるきっかけとなったあたみ女性21会議についてお話いただきました。
「平成7年に、女性の意見をもっと市政に反映しようと、市の諮問会議、あたみ女性21会議が発足しました。熱海で活躍するいくつかの女性の団体の長と、網代から泉までの地域の代表者21名で編成された会議で、私は約10年間代表を務めさせていただきました。10年活動するうちに、十分にその役割は果たしただろうということで、会議は卒業となったのですが、今度は自分たちで活動を続けていこうとつくったのが、あたみオアシス21という会でした。それが今の活動の原点になっています」。

だいだいマーマレードを商品化

あたみ女性21会議の活動の中でも、だいだいマーマレードの商品化は特に注目された活動の一つです。今ではスイーツやポン酢としてお土産品としても人気の熱海だいだい。熱海はだいだいの生産量日本一を誇りましたが、お飾りの需要が減った後は他の活用がうまくされず、農家の後継者不足も深刻でした。
「2000年(平成12年)に観光振興のために「伊豆新世紀創造祭」が開催されました。静岡県と伊豆半島22市町村で取り組んだプロジェクトで、あたみ女性21会議でも何かおもてなしができないかと。そのとき、多賀出身のメンバーから「マーマレードを使ってロシアンティーのようにふるまってみよう」と提案があったんです。そして、自分たちでマーマレードをつくって出してみたら好評で、商品化したら売れるのでは、と思ったんです。そこで農協にお願いして、初めは2000瓶、自分たちで買い上げるから作って欲しいと頼んで、販売させていただきました。それがきっかけで、今までずっと続いているんです。当時、だいだいはあまり活用されていませんでしたが、今では、まちの中でだいだいの様々なプロジェクトができて、商品化、利活用されるようになってきました。私たちが続けてきたことが定着して、ここまで発展して、うれしく思います」。

起雲閣との出会い

あたみ女性21会議で活躍していた平成10年。起雲閣が競売物件になることを知った中島さんは、起雲閣をまちに残す取り組みを始めました。
「起雲閣という旅館があったことは知っていましたが、別荘として建てられて、文化的な価値があるというのも当時は全然知りませんでした。ある時、NHKのテレビ番組で起雲閣の洋館が紹介されているのを見て、まちの中の約3000坪もある敷地、こんなに素晴らしい建物が万が一どこかに売られて、マンションにでもなってしまったらもったいない、なんとかならないのか、と、あたみ女性21会議の中でも話題になりました。そこから、起雲閣の歴史について勉強をしたんです。旅館当時に女中頭だった方に会いにいって、太宰治や山本有三が泊まったときの様子を聞いたこともありました。また、建築家に見ていただき、どのぐらい建築的に重要なのかを調べ、市民のみなさんも知っていただこうと講演会も開きました。私たちが事務局になって行った署名活動では、2万6千もの署名が集まりました。いかにこの建物が重要なのか、市に一生懸命お伝えして、そうした思いが伝わり、2000(平成12)年に熱海市の所有となったんです。取得後は館内の清掃や片付け、オープン後はボランティアでガイドや喫茶のお手伝いをさせていただきました。12億5千万円ものお金をかけて熱海市が取得したため、取得を中心になって進めた私たちも、責任の重さを感じていました。そういう想いもあって、一生懸命サポートをさせていただいたんです」。

NPO法人の立ち上げ、指定管理者に

市が起雲閣の運営を行って10年。そろそろ運営を民間移行してはどうか、という話が持ち上がる。そこで、あたみオアシス21に白羽の矢が立ちました。
「当時、30人ほど会員がいたのですが、女性だけでできるはずない、やめたほうがいいという反対意見もありました。それでもやっぱりチャレンジしてみようと、オアシス21をNPO法人化したんです。NPO法人化もできて、さあ、というときに、一旦はお話が白紙に戻ることもありました。10年間、市の職員が一生懸命ここを管理してきた実績、経験を継承したい、という想いを、何度も話し合いを重ねて伝えました。指定管理者制度の中で、私たちのような女性の団体が行っているところは珍しいため、心配もあったのだと思いますが、だからこそ、ぜひやらせていただきたいと、熱心に伝えました。その熱意が伝わり、まずは2年間、市の職員から学びながら、やってみることから始めさせていただくことになったんです」。
指定管理者として、学びながら施設の運営を始めたあたみオアシス21。ただ、当初は慣れない事務作業に相当な苦労もありました。
「事務、受付、喫茶を6人で、1日2人体制ではじめました。これまでの経験で人への対応はできても、パソコンは触ったこともないから、全然できない。仕事として捉えてやるという、重圧感に押しつぶされそうで、自分の無力さが情けなくて、家で、わ~っと泣いてしまったこともありました。そんなときにサポートしてくれたのは、やっぱり家族。夫からは、できなくて当たり前、初めからできる人なんていないよ、って励まされました。娘に仕事としての向き合い方、息子にはパソコンを助けてもらって。本当に家族には支えられましたね。今でも完ぺきではないですけど、少しはできるようになってきて。一つ、一つの経験の積み重ねですね。だから、私は今は人を雇用する立場になりましたが、人を育てるということは、できないからあきらめるのではなくて、少しずつでも努力が見えたら、きっとそれは実を結ぶんじゃないかなと思って見守っています。あたたかく仕事をしてもらいたいですね」。

これからの起雲閣、そして熱海

現在、起雲閣の指定管理は3期目となり※、6年間館長を経験された中島統括に、次への展望、あたみオアシス21の活動への思いを聞きました。
「あたみオアシス21のいいところは、反対する意見があっても、やろうって決めたらみんなが一致団結して協力するところ。大きな力になります。仲間は大切ですね。和気あいあいと楽しみながらこうしてやってくることができました。ここまでの活動は、一人では決してできませんでした。みんなが共有する思いがあったからこそ、できたのだと思います。一生懸命みんなが努力してきた積み重ねが今こうやって実を結んでいるというのを感じています。普通の人生を送っていたら出会えなかった人との出会いもあり、たくさんの宝物をいただきました。ここでお仕事をさせていただき、ここを残してよかったね、といううれしいお声を聴きながらお仕事させていただいて、本当に感謝しています。始めた当時は、館長という器ではなかったですが、周りが育ててくれたんですね。何年か経験しながら、少しずつ成長してきました。だから、次はバトンタッチして、私はサポートする側になれればと思っています」。
最後に熱海への思いについてお話いただきました。
「今は若い人たちが町おこしに積極的に取り組んで、観光客が増えていますね。熱海は、古いものが残りながら、新しいものも増えて、熱海らしさが残っています。今までやってきたお店と共存共栄しながら、若い人たちにもっときていただけるといいですね。また、基幹産業である旅館が、栄えることが大切だと思います。私の母はいつも「熱海は素晴らしい。熱海ほどいいところがない」って言っていました。今、その意味が本当によく分かります。熱海に昔からいる人にはいい意味で、高いプライドがありますよね。熱海は本当に素晴らしい。海があって、山にのぼれば富士山が見えて、こんな立地条件のところってないと思うんですよね。どこかに出かけて熱海に帰ってくると、ほっとするんですよ。私は起雲閣、そして熱海が大好きです。みなさんにこの魅力を知っていただけたら、うれしいですね」。

 

※上記文章は2018年(平成30年)インタビュー時のものです。2023年(令和5年)4月(4期目)より起雲閣の指定管理者は「熱海市文化施設運営委員会」(共同事業構成団体:株式会社ジェイアール東日本企画・特定非営利活動法人オアシス21)となりました。

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