JR東海道線の、熱海・函南(かんなみ)間の長いトンネル「丹那(たんな)トンネル」は、1918(大正7)年着工、1933(昭和8)年開通。1934(昭和9)年12月には現在の東海道本線が開通しました。

全長7804mという長さは当時としては国内最長、まさに世紀のプロジェクトというべき大工事で、幾多の困難を乗り越えて完成したトンネルです。

工事は、岩盤よりも、丹那の湧き水・温泉まじりの粘土等との苦闘の連続で、それを象徴するかのように、水抜きトンネルの総延長は14,500mと、トンネル延長の約2倍に達しました。

この難工事には約250万人、1日平均約500人が働き、この間、67名の尊い命が失われ、特に1921(大正10)年4月1日午後4時20分には、熱海坑口から約300m奥で大崩壊が発生、16名が殉職しました。

函南側では掘削石をトロッコに送るための漏斗に大きな石が詰まり、熱海口に向かおうとしていた作業員17名は石の排除作業を始めました。その矢先に熱海口側で事故が起き、崩壊現場の奥で取り残された17名は一週間後に救出されました。この工事作業員たちの命を救った石は「救命石」として、現在、丹那神社のほこらにまつってあります。

このトンネルは熱海の地にとっては、首都圏とストレートにつながる路線が開かれ、全国有数の観光地に発展していく礎となったのでした。

毎年4月初旬に「丹那神社例祭」と「丹那トンネル感謝祭」が開催されます。